徒然日記

約7年間の出来ごとです。

5

「だからさ。もう一度言って。」
明らかに怒気を含んだ言葉がスピーカーから溢れた。
「すいません。まだ今日は契約ありません。」
疲労が溜まり、弱々しい声を振り絞り、情けない結果を伝えた。
「ありえない。それで、これからどうすんの?」

時刻は既に20時を過ぎていた。研修では日が落ちてからの訪問はアポがない限りやらないほうが良いと教わった。夕飯の支度、あるいは最中に出くわす可能性が高く、断られてしまうからだという。

それに一般的に考えたら迷惑以外の何者ではない。ただでさえセールスマンは鬱陶しがられる存在なのに、追い討ちをかけるようなものだ。

「会社に戻ろうと思います。」
「それ本気で言ってる?」
「はい。今から訪問してもお客様の迷惑になってしまうと思うので。」
一瞬沈黙が流れたかと思うと、いきなり怒鳴り声が鳴り響いた。

「それはお前の勝手な言い訳だろ。そんな根性で今月の目標達成出来るの?出来るんなら帰ってもいいよ?でも俺だったら最低でも1件は契約獲ってからじゃないと帰らないな。」

聞くに絶えない罵詈雑言のオンパレードに胸が締め付けられる。

「そうですね……。このままでは帰れませんよね……。」


「本当にやる気あんの?どうしたらいいか自分の頭で考えられないの?これで大卒とか信じられないんだけど?それより、行ける所まだ残ってるんじゃないの?」

そう言われて地図を広げた。車のライトで照らしながら見てみると、確かに数件残ってあった。もう2週間も前になるが、配ったまま回収できていない所がある。

一般的に、契約を獲るにはまずサンプルを配るために訪問し、飲んで貰った後、空き瓶回収という名目でクロージングするために再度訪問しに行く。

通常は3日後~5日後を目処にクロージングに行くが、留守のとき、出かける寸前等のタイミングが会わないときは3回4回訪問することがある。

それでも会えないときは諦めることになるが、この時間ならきっと会えるはずだ。

ちなみにさっきの空き瓶を綺麗に洗ってくれたお客さんは何回か訪問したが、タイミングが悪く結局1週間後に回収になったため、もしかしたらもう少し早く会えていれば契約になっていたかもしれない。

そんな後悔しても仕方ない。

「残り3軒ありますので、そちらを回収してきます。」
「当たり前だろ。」

淡い期待を抱きながら再びエンジンキーを回した。

4

「どういうつもり?」
出勤早々、先輩に会議室へ連れてこられ、1枚の資料を渡された。

そこには全営業員による先月の目標と結果がプリントされていた。

各々掲げた(会社から課されたノルマ)目標と結果がはっきりとグラフにされており、その中で自分の名前を見つける。

見事に最下位の所にあった。

「新人とは言え、いくら何でもこれはないでしょ?」

自販機で買ったであろう缶コーヒーを飲みながら冷たい目で睨み付けられる。

「すいません。今月は目標達成できるように努力します。」

嫌な空気だ。目のやり場に困る。

「それに、今何時だと思ってんの?」

ついさっき、タイムカードを押したとき、時計は7時半を過ぎていたので恐らく今は7時45分頃だろう。

「そんなゆっくりしてる暇あるなんて余裕だね。
もし俺が先月お前と同じ結果だったら1時間でも2時間でも早出して、1件でも多く契約取ろうとするんだけど?」

アドバイスとも嫌味とも取れる微妙な言い回しに耳が痛くなる。

「新人だからって余裕かましてると大変なことになるから。今言ったからね。聞いてないとか後から言わないでね。じゃあ俺はもうアポが入ってるからもう行くから。何かあったら連絡して。」

そう早口で捲し立て、先輩は会議室を後にした。

朝から胃が痛い。しかし弱音を吐いてもいられない。今月は何としても目標達成して、見返してやろうとその時は思っていた。

しかし、現実は甘くはなかった。

6

「サンプル貰って考えたんだけど…。やっぱりスーパーで買った方が安いし、ごめんなさいね。」

そう言って、玄関の扉を閉められた。

回収した空き瓶に目を落とす。

水滴一つついていない。キャップもしっかりと閉まっている。

多くの人は洗わずそのままの状態で返してくるが、この人は違う。
こういう綺麗な瓶を見ると、断られたのに不思議と気持ちが落ち着いてくる。

しかし、結果は契約不成立。現実は変わらない。
「参ったね……」

確かにお客さんの言い分は納得の意見だ。

宅配牛乳の商品はスーパー等の大型量販店に比べると値段が高めに設定されている。

極端な話ではあるが、スーパーで売っている特売の1リットル牛乳の値段と宅配で買う小さな瓶180ミリリットルの牛乳の値段がほぼ同じである。

これは決して詐欺ではなく、カルシウムやその他栄養成分が他の牛乳に比べると何倍も入っているので、その値段に見合った効果効能は期待できるからである。(ただし、個人差はある。)

ただ、それを一般家庭の主婦の方や、年金暮らしの年配の皆さんが契約して飲むとなると、決してハードルは低くはない。

それをいかにして「飲みたい‼」と思ってもらうかどうかは、営業の腕の見せ所なんだろう。

しかし、こちらが説得すればするほど、お客さんは拒否する。

「押し売り」されていると感じた瞬間、財布の紐を閉じてしまうのだ。

そのバランス感覚は一朝一夕で身に付くものではない。空気を読み、お客さんの心を掴むなんて出来るんだろうかと、途方に暮れていたとき、会社から支給された携帯が振動する。

見るとそこには見たくもないが見慣れた名前。嫌な予感しかない。

意を決して通話ボタンを押した。

3

「慣れれば契約なんて簡単に獲れるよ。」

先輩はそう言って手元にある契約書の束を数えていた。見たところ5枚。つまり、今日は5件の契約を獲ったことになる。

1日で5件獲るのはなかなか無いらしく、会社に戻る途中、普段なら絶対に寄らない某コーヒーチェーン店の中でも一番値を張るコーヒーを奢ってくれた。

それに対して自分は0。いやしかし、慣れるも何も始めてまだ1ヶ月と半月、要領が悪いと言われればそれまでだが、全然契約に繋がるコツや雰囲気が掴めない。

先輩のやり方を見て営業トークを見直してみたり、練習したりはしているが、結果には結びつかない。

焦りと苛立ちだけが先走り、目標件数の半分も獲れずに5月が終わり6月に突入したとき、最初の事件は起こった。

2

「へー。こんなのあるんすか。」

もの珍しげに渡したパンフレットを見ながら呟き、親に渡しときますと言って中学生くらいの坊主頭の少年は玄関を閉めた。

知らなくても無理はない。

今時牛乳屋と言ってピンとくる人は一体どれくらいいるんだろう?

昔は新聞と同じように牛乳を初めとする乳製品を宅配してもらうことは珍しいことじゃなかった。

玄関先に受け箱(今でいうなら生協の宅配ボックスのようなもの)を置き、配達員がその中に保冷剤と商品を入れる。
その多くは瓶に入った牛乳で、飲み終わった瓶を洗い、受け箱に戻す。

お店によって異なるが週に1~2回、配達のとき、空の瓶も回収しリサイクルする。

配達の時間帯も様々で、基本的に早朝、地域や会社によっては昼や夕方行われている。

大手メーカーから、聞いたことのないような地域密着型の小規模メーカーまで様々ある。

まだ自分が小学生だったころ、宅配を獲っていたことがあったが、これは約1ヶ月の研修で学んだことであり、最初から知っている訳ではなかった。

ちなみに当時獲っていた会社と、今の会社はライバル関係だったこともあり、社内の人達には秘密である。

1

「いらねぇって言ってんだろうよ‼」

インターホン越しから聞こえてきた罵声に驚きながら慌てて謝り、玄関を出た。

手にした地図の中の「鈴木」という四角で囲まれた箇所にペンで×印をつける。他にも「佐藤」「田中」×印で埋め尽くされた名字が並ぶ。

地図を畳み、一向に減らない大量のチラシと商品のサンプルが入ったバックを担ぎ上げると無意識にため息が出る。

一今さら牛乳宅配って。

今から約2ヶ月前、大学を卒業し入社したのは牛乳宅配専門の会社だ。大手メーカーから卸売りされた商品を宅配する、所謂昔ながらの「牛乳屋」を法人化したのだという。

その中の営業課に配属が決まり、1ヶ月程の軽い研修を受け、無理矢理ながら独り立ちさせられてしまい、現在に至る。

昔と違い、コンビニやスーパーが建ち並び、牛乳宅配を獲る人は減っていく一方であり、更には生協やネット通販の普及により、新たに始めようとする人も中々いない。

最近では、悪質業者の被害も拡大され、インターホンを鳴らしただけでも不審者扱いされる始末。

まあ、これは業種問わず全国の営業の皆さんも同じ悩みを抱えてるに違いない。

そう自分自身に言い聞かせ、隣の家のインターホンを押す。

しばらくすると年配の女性が玄関の扉を開けた。

「お忙しい中すいません。近所の牛乳屋です。テレビや雑誌で取り上げられている宅配商品のサンプルを近所の皆さんにお配りしていますので、もしよろしければ受け取って下さい。よろしくお願いします。」

よかった。噛まずに言えた。昨日、家で何度も練習した成果が出たのかもしれないと安堵したのも束の間、「私、見ての通り年寄りなもので耳がよく聞こえないの。ごめんなさいね。」
と、相手にもされず玄関の扉を閉められた。

絶対聞こえてるだろ。耳が悪いとか嘘だろと言い返したら負けである。仕方がない。再び地図の中の「佐伯」に同じように×印を付ける。

1日朝から晩まで「いらない」「けっこう」「必要ない」酷いときには警察呼ぶぞと脅かされ、それでも折れた心に鞭を打ち、新たなお客さんになってくれる方を探していく。

飛び込み営業っていうのは何て言うか、まあこんな仕事だ。